正直な話、「法務系の資格を取って、職業人としても報酬を得たい」という気持ちがあった。 今の状況は、生活する分には不自由はないけれど、ちょっとした贅沢(といっても「安い外食」とか)も躊躇してしまうくらいの経済状況だ。
なんかね、「贅沢な暮らしへの”慣れ”」って本当に怖いな、って感じてる。
私は「外食したいなぁ」とか「ちょっとお買い物したいなぁ」とか思ってしまったとき、こういう風に想像している(↓)
同じ日本人として時代をさかのぼると、江戸時代とか明治時代とか、外食産業なんてあったか? 娯楽の種類も幅も、今より全然「少ない」し「無い」のである。 これ事実。
じゃあ、そんな生活をしていたからといって、人間性やイマジネーションの幅が、現代人より劣るのか??? というと、むしろその逆で、
昔の人のほうが「人間性があり」、「イマジネーションが豊かである」んだと歴史や昔の偉人たちの伝記のエピソードを思い出すと感じるのである。
今より情報が少なく、娯楽もない。
「物事は”無い”から始まる」
というマイナスの言葉があるけれど、「有る」ことによって、失われたり、感じなくなったりすることのほうが多いような気がする。
***
同じハンデを負っている友人から、一昨日、手紙が届いた。 結婚(入籍)したという報告だった。
式は費用がかかるから、しないと言っていた。
子どもも、経済的な理由で「すっぱり諦める」と書いてあった。
私はね、その友人の話を手紙で読んで、
「自分は持ち家を持てて、子どもも授かり、両親がいて、こうやってパソコンをパシパシ打てて想いを綴れる環境がある」
って、つくづく思う。
「物が無かった時代」
これを思うと、人っていうのは「一度贅沢を味わってしまうと、元に戻れない心理」っていうのは、本当にあるんだよな~って感じる。
江戸時代はプラスチックのおもちゃなんて無かった。
「でんでん太鼓」はあったけど(^▽^;)
なんか、それでも健全に育ってたんだよな、と。
命をつないで、子々孫々と続いていったんだよな、と。 それで「今の私達がいる」んだよな、って。
今の日本の文明を発展させ、経済大国の豊かな国にした偉人達(起業家とか)って、幼い時に超リッチな生活をして、存分に与えられ、贅沢してきたかというと、マジでその逆なんだよね。
「物事は”無い”から始まる」
「お金が無い」「贅沢が無い」「時間が無い」
そういう『心理』が不平や不満を産み出すんだよな、って。
でも、「”有る”心理」というのも表裏一体であって、「有るからこそ」失われたり、感じなくなってしまったり、貪欲になってしまったりすることって、すーーーっごく!あるんだと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿