なんかさ、、、
しょーーーもない根も葉もない噂立てたり、妬みとか嫉妬とかいう「本能」っぽい部分にかまけて周りにパフォーマンスして空気感悪くしてる同僚とか、いるんだけど、
そういう人だって、色々あるんだと思う。 色々と。。。 本当にね。
たしかにね、空気悪くしてるし、本人は全然気にしてないし、だから直らないしエスカレートとかするんだろうけれど。
そういう人であってもね、色々あるんですよ。色々と。
「だからそういうパフォーマンスするその人になってる」とは100%言えないし、マジでガチで黒い人もいるからアレなんだけど、色々あるんですよ。その人なりの色々が。
どんな人であろうと、どういう選択を取ってるひとであろうと、人生を生きている人であったとしてもね。
そういう風に、「色々とあるんだろうね、その人なりに。」って思うことが一番なんだと思う。
そして、だからといって自分と別ベクトルで違う人で、なおかつ気の合わない人とか、合いそうもない人と、無理してこっちが折れて付き合うなんてこと、する必要性も全くないし、自分が疲れるようなジャンルの人なんかと、わざわざ時間割いて付き合うなんて無駄だし、意味のないことなんだと思う。
自分と違う世界で生きていて、違う感性で人生を生きていて、価値観の違う人でもね、
「相手もそうなんだな」って思えて、『その上で』友達として付き合ってくれたり、知り合いとしてだったり、仲間になれる人も、そういう人間関係になれる人も、モチロン居るわけです。
(ていうか、私はそういう人間関係を実際に持てているし、恵まれていると思っている。)
母と話していたんだけど、
結局のところ、私がこういう風に思えて、実際の人間関係も持てているから、こういうふうな「人ってそういうもん」とか「人生ってそんなもん」って思えているんだとマジで感じる。
きっと私が知らない所で、目につかない場所で、コミュニティーで、世界で、私とか私を取り巻く人たちみたいな人とは『ぜんっぜん3Dベクトルで違う人たち、コミュニティー』って実際に存在して、あるんだろうなぁ~とつくづく思う。
ここは日本だし、今私がそう思っているのは「日本に住んでいる日本人の私」だからであって、こんどは『世界』に視野を広げると、まさ更に更に(いい意味でも悪い意味でも)広いし(←上下左右ね・・・苦笑。)深いんだろうなと思う。 カラフルでもあると想像する。
そういう事を想像する中で、「正しさ」とか「良い悪い」って、とかって当たり前だけど「人」にもよるし「状況」にもよるし、「今のその人だけでない”生い立ち”」であったり、もう本当に、その他にも考えればいくらでも出てくるんだけど。。。。
日本っていう国に居るだけでも、私はこんなに感じているんだから、海外に根を下ろしていた経験のある人は、また違った価値観で人を見るし、人生を生きているんだと思う。
でも、その人だって海外でも「その国」しかわかってないし、わからないよね当たり前だけれど。 そんなこと、本人が一番よくわかってるんだと思う。
なんだか、「宇宙の成り立ち」とかを想像したり、考えたりすることと同じようなくらい「ひと」って広いし深い。そして、真実とかなんて無いし、見つからないと思う、永遠に。
「人の感情」って無限大。
測ることも、数値で表すことも、できないよね。
地球に住んでる「地球人」だからとかいうことも考えだしたらキリが無いし頭禿げるし(爆)。 有機物の生命体で、臓器があり、脳みそというものが存在して、それはインパルスという電気信号で「生きている生もの」であって、、、、とかね。。。。
そんな機能性のある有機物の生命体だからこそ「感情」というものがあるし、「認識」されているんだろうな、とかね・・・・。
なんかね。そういうことなんだよな。 頭禿げるね。こういう事考えちゃうと(笑!)
まあ、そういう考え方とかは置いておくとして・・・(爆爆爆。)
ここ最近、育児の合間に「ポケット六法」に目を通してみて、「やっぱり私は法務系の仕事を経験してみたいな。」とか思ったんですよね。
法律を通して、学べるところってあるなぁ・・・と。
「人というものの、ほんの一部で、本当に微々たる部分でしかない」んだけど、法律を学んでいて、六法に目を通しただけでも本当に『学びの部分』があったんだよね。
法律は国によっても違うし。
本当に、本当に、深い。
その「深さの学び」も「所詮法律上での学びの深さ」、なんだけどね。
なんか、いま学んでいる資格って、学習時間の指標が「だいたい3000時間は最低とらないと受からない資格」らしいんだけど、
まあ、やってみる。 私なりに。
受けなくてもいいんだし、受けて落っこちても、受かったとしても、その資格を学ぶプロセスを経験するだけで、本当に違うんです。
それはFPの資格だったり、宅建だったりしてもそうで。
YOUちゃんのお世話をして、これから心身ともに付き合っていかなければならないし、子どもが悩んだ時や、ブレそうになって苦しんだときに、それが全てだとは言わないんだけど「子供を導いていく親としてのメンタリティーの一部に繋がるんじゃないか。」とか思っているんです。感じているんです。
勉強だけじゃない。PTAの活動だって、役員さんだって、やることで成長するんです、親もね。
ご近所づきあいでも、なんでも、もう全て。
そういう事に気付けているし、そういう自分になれている。
・・・それは、私自身が「私だから」なのかもしれないけど、そういう私を作ってくれたのは母だったり兄だったり、付き合ってくれた友達だったり、知り合いだったり仲間だったりするんだよね。。。。
そして、そういう人生を歩んできた「今の私」を認めてくれて、好きになってくれて、一緒に人生を歩んでくれる決断をしてくれた『楓さん』の存在が、あるからなんだよね。。。
だからね、。。誰が何、とか、これがこう、とか言えないですよ。
この先、人間社会で生きてる人間だから、思っちゃうし言っちゃうこともあるんだろうとは思うし、それって事実なんだけど、
しかたないよ、人間だもの。(あいだみつお風)
っていう言葉に尽きてしまうんだと、マジで思います。
【完】
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