以前、ずっと前。
地域の精神系のサポートセンターの職員さんを交えた、「退院サポート」についての会合があって、精神科の医療従事者と、当事者を交えた会合であったのだが
そこで、司会進行役の施設職員が、
施設に支援要請の電話が掛かってくる電話内容で、一番多かったのは何なのか?
簡単な資料を配布されていたので、それに目を通しながら話が進んでいくと、その第一位の理由が『経済的困窮』に関しての電話内容なのであった。
私は、その時、意外な「電話内容の一位」にとても驚いてしまった。
精神科系の支援センターに、「経済的困窮」の相談内容の電話が、”一番多く掛かってくる”なんて・・・、と。
話し合いが進み、支援方法や対応の仕方、支援者や医療従事者たちの意見や改善策などの発言が飛び交った会合の、まとめの終了間近で、
司会進行役の施設職員が、『人はそもそも”独り”です。』と、改まって言った。
周りの医療従事者や当事者の人たちは、みんなシーンと黙って聞いていた。 誰一人、それに異論を唱えるような、空気感も、「ゼロ」であった。
しかし私は、そこで「憤り」のような感情がブワッと湧いてしまった。
「なんで、支援をしなければならないお前ら支援者や医療従事者が、そんな『人はそもそも”独り”です』なんて言葉を改まって使って「まとめ」てんだよ。 今回のこの会合は、一体なんのために開催してんだよ。」
と、そこで挙手して発言したかった。
でも、実際はそれが出来なかった。
その場には、本当に、異様さを感じるくらいのどんよりとした「諦め」の雰囲気が、漂っていて、ていうか「沈殿」していて、
私がもし、今ここで、「そんな『諦め』みたいな事言わないでくださいよ!頑張って改善策を考えましょうよ!」と、言ったとしても、
たぶん、みんな肯定はしてくれるような雰囲気はあるんだろうけど、それより『どうにもならない虚無感』で、私の発言は、押しつぶされてしまうんだろうなと感じた。
***
ついこの間、精神科OTの子と、ランチをした。
いろいろ話をした。
精神科医療の世界のこと、従事者のこと、その指針を決める「国」のこと。
それに相まって、「教育」のこと。
そもそも、「日本っていう国ってさ」「第二次世界大戦の結果ってさ」みたいな事も、話す雰囲気になったのだが、
本当はそういうことも私はわかっているし、彼女もわかっていて、話せばそれなりの「現実にある真実」なんてのは話題には出来たんだろうけど、
そういう話題をしてしまうと、彼女自身が『仕事に滅入ってしまう』ので、さすがにそこは配慮をして、深く掘り下げず、触れずに話題を引っ込めてあげてしまった。
『枝葉』の部分は、変われるんだと思う。
それが「本当の意味で変わる」のか、「まやかしレベルで変わったように見せられる」という意味で『変われる』のか。
そういうのも、ひっくるめて『枝葉の部分は変わることが出来る』んだと思う。
ただ、『根本』の部分。
「日本」という国そのものが『変わること』なんて、不可能に近いんだろうなと思っている。
どこの誰が主導権を握ろうと、日本という国自体は「変わらない」。
だから、医療従事者の人たちや、そういう分野での公務員の人たちは、
そういう「葛藤」を抱えながら日々の業務をこなし、障害者や地域住民の人たちを、支えているんだと思う。
それが「変えられない真実」。
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